2011年 03月 23日
地震 |
まず、東日本大震災におきまして被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
自分が被災地でもない東京での体験を語ったところで何の意味があるのか
と思わないでもないが、この巨大都市が変貌する瞬間はそれなりに衝撃的
だったと思うのであくまでも記録として記しておく。
興味がなければ読み飛ばしていただきたい。
地震が起きている最中は「阪神以来の大きさだな」とぼんやり思いながら、
まさかこんなに大きな規模だとは思わず、ただ何度も繰り返す揺れに
「しつこいなあ」と辟易していた程度だった。
テレビを見るまでは。
そこに映し出されていたのは現実離れした光景と繰り返される警報。
翻弄されるトラックや倉庫の壁には日本語が・・・
まぎれもなく今まさに日本で起きている事だった。
恐怖で思考が止まりそうだった。
当然電車は全部止まって動く見込みなどあるわけない。
すぐに妻に電話をかけるが完全にパンク。
パソコンで連絡を取り無事を確認後、待ち合わせ場所を決め
そこで落ち合う事にし、約17kmを歩いて帰宅する事に。
ラッシュ時のホームのような列に入りゆっくり歩いているうちに
テレビの映像がフラッシュバックしてきて無意味に焦りが出る。
夜になる街と何度かけても誰にもつながらない電話がそれをあおる。
1パケットで送信できるTwitterだけが繋がり、安心感のよりどころだった。
ひたすら歩きかなり疲労が見えてきたころ、待ち合わせ場所に着く。
だが自分より近い場所から向かっているはずの妻の姿が無い。
連絡は来ていない。
連絡しても届いている確証はない。
場所を間違ったかと思いメールを見直すがここのはず。
急に不安になり向かって来ているはずの方向が見えやすい場所に立ち
大量の人の列を眺める。
妻と同じ色のマフラーを見かける度にハッとする。
それが2度続きこれはいよいよ、と思った時にメールが来た。
「着いた」
どこだ??居ない。。
ずっと来る方を見てたのに。。やっぱりここじゃなかったのか??
ドキドキしながら見渡す範囲を広げてみると、予想とは真逆の方向に
覚えのある帽子とマフラーが!
安堵で膝の力が抜けそうだった。
さらに自宅へ向けて歩く途中、あまりの空腹に高円寺のラーメン屋に。
そこでは並びの席でバンドマンと初老のサラリーマンが話し込んでいた。
初対面らしいがサラリーマンはウッドストックやエンジニアによる音の違い
を力説しそれを感心しながら聞くバンドマンはつい先日イギリスから帰国
したばかりでちょうどレコーディング中だが、スタジオからの連絡で地震で
データが飛んだかもしれないとうなだれていた。
それを聞いたサラリーマンはとにかく無事だったんだから頑張れと励ましていた。
何気ない、しかし実に高円寺らしいその光景に奮い立たされる思いがした。
歩きながら考えたのは東京という街のその巨大さ。
何よりも人口という点での巨大さだ。
小さな裏路地から普段夜になると人通りはほぼ無いに等しい自宅の前にまで
途切れることなく多くの人が無言で歩き続けていた。
この人数がいつでも今回のように比較的冷静に動くとは考えにくい。
さて、待っていたのは崩壊した部屋である。
想像以上の破壊力だったようだ。
確かに最初見た時はショックだったが、片付けているうちに5時間歩いた疲労と
相まってただ元に戻すのが嫌になり、全部やりなおしてやろうという気になって来た。
そう思えるとこの情けないはずの作業もなぜだか気が楽になった。
これからの混乱を想像しながらなるべく、明るくやっていこうと決心した。
以上3/11夕刻から3/12日未明の記憶
自分が被災地でもない東京での体験を語ったところで何の意味があるのか
と思わないでもないが、この巨大都市が変貌する瞬間はそれなりに衝撃的
だったと思うのであくまでも記録として記しておく。
興味がなければ読み飛ばしていただきたい。
地震が起きている最中は「阪神以来の大きさだな」とぼんやり思いながら、
まさかこんなに大きな規模だとは思わず、ただ何度も繰り返す揺れに
「しつこいなあ」と辟易していた程度だった。
テレビを見るまでは。
そこに映し出されていたのは現実離れした光景と繰り返される警報。
翻弄されるトラックや倉庫の壁には日本語が・・・
まぎれもなく今まさに日本で起きている事だった。
恐怖で思考が止まりそうだった。
当然電車は全部止まって動く見込みなどあるわけない。
すぐに妻に電話をかけるが完全にパンク。
パソコンで連絡を取り無事を確認後、待ち合わせ場所を決め
そこで落ち合う事にし、約17kmを歩いて帰宅する事に。
ラッシュ時のホームのような列に入りゆっくり歩いているうちに
テレビの映像がフラッシュバックしてきて無意味に焦りが出る。
夜になる街と何度かけても誰にもつながらない電話がそれをあおる。
1パケットで送信できるTwitterだけが繋がり、安心感のよりどころだった。
ひたすら歩きかなり疲労が見えてきたころ、待ち合わせ場所に着く。
だが自分より近い場所から向かっているはずの妻の姿が無い。
連絡は来ていない。
連絡しても届いている確証はない。
場所を間違ったかと思いメールを見直すがここのはず。
急に不安になり向かって来ているはずの方向が見えやすい場所に立ち
大量の人の列を眺める。
妻と同じ色のマフラーを見かける度にハッとする。
それが2度続きこれはいよいよ、と思った時にメールが来た。
「着いた」
どこだ??居ない。。
ずっと来る方を見てたのに。。やっぱりここじゃなかったのか??
ドキドキしながら見渡す範囲を広げてみると、予想とは真逆の方向に
覚えのある帽子とマフラーが!
安堵で膝の力が抜けそうだった。
さらに自宅へ向けて歩く途中、あまりの空腹に高円寺のラーメン屋に。
そこでは並びの席でバンドマンと初老のサラリーマンが話し込んでいた。
初対面らしいがサラリーマンはウッドストックやエンジニアによる音の違い
を力説しそれを感心しながら聞くバンドマンはつい先日イギリスから帰国
したばかりでちょうどレコーディング中だが、スタジオからの連絡で地震で
データが飛んだかもしれないとうなだれていた。
それを聞いたサラリーマンはとにかく無事だったんだから頑張れと励ましていた。
何気ない、しかし実に高円寺らしいその光景に奮い立たされる思いがした。
歩きながら考えたのは東京という街のその巨大さ。
何よりも人口という点での巨大さだ。
小さな裏路地から普段夜になると人通りはほぼ無いに等しい自宅の前にまで
途切れることなく多くの人が無言で歩き続けていた。
この人数がいつでも今回のように比較的冷静に動くとは考えにくい。
さて、待っていたのは崩壊した部屋である。
想像以上の破壊力だったようだ。
確かに最初見た時はショックだったが、片付けているうちに5時間歩いた疲労と
相まってただ元に戻すのが嫌になり、全部やりなおしてやろうという気になって来た。
そう思えるとこの情けないはずの作業もなぜだか気が楽になった。
これからの混乱を想像しながらなるべく、明るくやっていこうと決心した。
以上3/11夕刻から3/12日未明の記憶
by daisukematsusaka
| 2011-03-23 18:52
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